


教育を通じての宗教闘争は、社会的動揺のほんの一端を表わしていたにすぎませんでした。
1830年代から1840年代に至る10年間、英国の歴史は政治的に激動した時代を迎えていました。
1832年の改革法によって、選挙人地図は塗りかえられ、入口の変化と社会の要求に見合う形に参政権が拡大されようとしていました。
この改革法によって政治的激動は最高潮を迎え、またこの激動の先駆けともなりました。
この時代には、大規模な国民運動が様々に繰り広げられました。
「反穀物法同盟」(穀物法は穀物、特に小麦の輸出入に規制を加えた議会立法)は、主として中産階級に支持母体を持つ急進主義の表れでした。
チャーチスト運動(1836年から48年の間、英国で起こった急進主義の政治運動)は、新たに労働者階級の間にわき起こった政治意識の焦点をはっきりさせようという企てでした。
いずれの運動も、民衆の支持を得て、全国民的運動にまでもりあげるための努力が払われました。
18世紀旧貴族政治の基盤は、各地方ごとに、住民が貴族に対して服従を誓うことで成り立っていたのですが、続発した政治運動は、こうした服従関係を打破しようという試みでした。
