


ラングの宿敵ブルートンは詩人のコールリッジに対し、
「今論争の的となっている問題は、純然たるキリスト教(英国国教会)の死活問題にも勝るとも劣らない、実にゆゆしき問題である。」・・・と告げました。
ニューサウスウェールズでは「純然たるキリスト教」も、それに反論する者も、真の勝利を収めることができませんでした。
2つに分かれた見解の解決策として、リチャード・ブールク総督からある試案が提出されます。
それはアイルランドの国立学校で実施されている制度で、基本的読み書き教育は全生徒に対して行うが、宗教指導は各宗派ごとに、司祭あるいは司教が行うというものでした。
しかしこの案はブルートンからも、ラングを含めて、プロテスタントの指導者からも一蹴されてしまいました。
プロテスタントは、ブールク総督の計画によって1番得をするのはローマカトリック社会ではないかと懸念を抱きました。
しかし、ブールクはその提案を強引に進めます。
その見返りとして、教育は言うに及ばず、教会が行うすべての事業に対し、政府が援助を行うという原則が明確に規定されました。
ニューサウスウェールズでは1848年になって初めて、政府による学校設立の動きが始まり、1880年までは、宗教教育に対する政府援助も止められていました。
