現在名前がわかっているのは岩崎弥之助、渋沢栄一、三井八郎右衛門、益田孝、大倉喜八郎、安田善次郎・・・
それから金融恐慌を引き起こすきっかけをつくった渡辺銀行の渡辺治衛門、他3名くらいいたということがわかっています。
つまり丸の内株式会社とかいう形でしょうけれども、ノルディックウォーキング ポール 販売のような会社をつくって払い下げようということになったわけです。
しかし三菱がそれになかなか合意しなかったのです。
岩崎さんが何かぐじゃぐじゃ言っていました。
しかし岩崎さんも、じゃ、一応それでいこうということで、当時、岩崎さんの番頭は、後に日銀に入る川田小一郎が渋沢さんと話をして、では、一応連合になろう。
実は渋沢さんのグループと三菱は、その前に明治における最大の経済戦争とも言える郵船会社をめぐる死闘を繰り広げて、渋沢グループが三菱の船会社独占をぶち破ろうということで、渋沢さんと三井が組んで大げんかをやった後で、しこりがありました。
結局、三菱は郵船会社、つまり本来の白分の祖業を外へ出した。
三菱はあれでつぶれる可能性が非常に強かったのです。
あとは、ただ炭鉱をちょっと持っていただけで、本業は船会社ですから、まだ銀行もやっていません。
・・・それを結局、郵船という形で別会社にした段階だったのです。