政治的権力を握っていた排他主義者達のこの考え方は、中、下層階級の人々、ことに1830年代から1840年代にかけて大挙してやって来た移民達の反論にあいました。
彼らは独自に、個人の権利を守り、少数の人々の領地の確保に貢献する政府ではなく、国民全体の利益を考える政府を作ろうという英国急進主義の伝統をさらに進めていきます。
1830年代に入り、英国の急進主義は貴族制度に反対する中・下層勢力と結びつき、盛り上がりを見せていたものの、1832年の選挙では労働者階級が選挙権を棄権するという背信行為に出たため、運動はつまづきを見せていました。
1832年以降、英国における労働者運動は、労働者階級の利害を代表する運動という色彩を強めていました。
英国労働者階級の急進主義者たちは、主に労働組合、成年男子普通選挙権、無記名投票、平等な選挙区、下院議員の財産資格廃止、有給制の導入という6つの原則を柱とするチャーチスト運動にその照準を合わせました。